忍者ブログ
絵画教室アトリエオーブ/画家 今尾則之のブログです。
[2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7]  [8]  [9]  [10]  [11]  [12
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


連日猛暑に次ぐ猛暑、何かまともにモノが考えられなくなりそうです。

今、アトリエで描きかけの作品を保管するラックを自作しようとアイディアを
練っています。ただ、お恥ずかしながら理数関係の脳ミソは随分前にどこかへ
置き忘れてしまい、またこの猛暑も手伝ってぜんぜん頭が働きません。
まぁ、何とかします...。

さて、先月末「小澤国際室内楽アカデミー奥志賀」のお手伝いのため、
奥志賀高原に行ってきました。今夏も奥志賀高原の森の音楽堂と地元の中学校
そして東京オペラシティでのコンサートに、記録映像のスタッフとして
参加させていただきました。

例年だと奥志賀高原に着いた途端、東京の暑さから解放されたような過ごしやすい
気候を体感できるのですが、さすがに今年は奥志賀でも「暑っ!」と思いました。

今年の演奏会も若い音楽家の皆さんが合宿での成果を存分に発揮されて、
無事成功裡に終了しました。特に合奏では、指揮の小澤さんがお休みにも関わらず、
まるで指揮者の姿が見えるような、例年と比べてもまったく遜色のない演奏を
披露されていました。

今回も僅かな時間でしたが、僕自身とても良い刺激をいただきました。
今後のアトリエや自分の創作活動にも活かしていきたいと思います。

最後にこちらも例年通り、現場の忙しさに身を任せていたら
すっかりブログ用の写真を撮り忘れました...すみません。



PR

梅雨の曇天だと思っていたら猛暑につぐ猛暑、忙しい日々です。
6月は晴れを待ち焦がれていましたが、暑すぎてすっかり秋が恋しくなりました。

さて先だって久々の展覧会ということで鴨居玲の没後30年展に行って来ました。
鴨居玲は亡くなった年の1985年から、5年毎にどこかで展覧会が開かれるという
希有な画家です。

以前ブログでも触れましたが、僕は学生時代に鴨居玲の作品を見て、自分も
絵を続けていこうと思いました。早いものであれから24年(!)、鴨居作品に
まつわる独自のエピソードをいくつかご紹介します。

僕が初めて買った鴨居玲の本は没後5年展の図録です。確か1993年の冬だった
と思います。画集が欲しくて都内の古本屋を探し回り、図録でしたが見つけた時
の喜びは今もハッキリ覚えています。

それから程なくして、ついに大本命の画集「夢候」を古本屋で見つけました。
僕は早る気持ちを抑えながら店の人に値段をたずねると、お店のご主人は
ピースサインをしながらこう言いました。

「20万円」

「ものすげー高けーー!!!」

あの時の何とも言えない悔しさと無力感、あとご主人のちょっと勝ち誇った笑顔、
やはり今もハッキリ覚えています。もちろん画集は買えず仕舞いです。

最初に見た鴨居作品は東京国立近代美術館所蔵の「静止した刻」でした。

初めて作品を見たときは感慨ひとしおで、気合い十分、描かれているものを
すべてを見尽くしてやろうと思い、食い入るように小1時間鑑賞したと思います。

近代美術館での感動の対面のあと、ぜひ他の作品も見たいと思っていた矢先に
ちょうど長崎で姉鴨居羊子との二人展が行なわれることを知りました。
僕は居ても立ってもいられず、思い切って飛行機に乗り、長崎までその展覧会
を見に行きました。

余談ですが、空港に降り立つと初めての長崎は雨だったので、
滞在中はやはり、

「ながさき〜〜ぶあ〜〜〜♫」

というクールファイブのフレーズがずーっと耳奥で鳴り響いていました。

もちろん長崎での展覧会は大満足で、確か2日続けて見に行ったと思います。
そして、このときに主要な作品を見ることが出来ました。

最後に見たのは5年前、横浜で行なわれた没後25年展でした。

あの時も初めて見る作品が多く堪能しましたが、展示作品のなかの一枚に、
どう見てもヴァイオリンかヴィオラを持っている老人の絵に「チェロ」という
キャプションが付けられていました。僕はとっさに間違いだと思って、関係者を
探してそのことを伝えました。すると関係者の方はすでにご存知で「ご本人が
キャンバスの裏にそう書いているのでそのまま記しています」と言いました。

うーん、難しいところです。まさに当のご本人が書いていることですし、確かに
代わりに付けようにもヴァイオリンかヴィオラかも判らない、さらにもし何らか
の意図があって付けた題名だったらエラいことだ、と考えるのも無理もない話
なのかもしれません。

ただ、鴨居玲の作品タイトルを考えるとほとんどがストレートなものですので、
この絵に限って題名に意味を含ませるようなことをするのか疑問が残ります。

端から自分と比べるつもりなど毛頭ありませんが、仮に僕の作品が残る幸運に
恵まれたとき、作品の天地やタイトルを違えたまま人生を終えると、その絵は
ずっとそのまま紹介されてしまうかもしれない、などと要らぬ事を考えさせ
られました。

20年以上の年月が過ぎて僕も心身ともに変わり、絵に対する接し方や感じ方、
考え方もそれなりに変化しました。でも、先日の展覧会で見た鴨居作品は
初めて見た時と変わらぬ輝きを放っていました。




6月も早くも後半、また梅雨の季節がやってきました。

以前ブログでも触れた通り、最近アトリエと併行してボチボチ自分の制作を
再開しました。何だか判りませんがまずは木炭デッサンから、と時間を見つけて
せっせと描いています。

たぶん今も変わらないと思いますが、油絵畑の人間は木炭でデッサンを覚えます。
僕も昔から木炭デッサンは好きで、画面を捏ね回して粘土細工のように作っていく
作業が泥臭系(?)の自分のスタイルに合っているのでしょう。実際、大学時代の
一時期は油絵よりも好きになってしまい、もっぱら木炭ばかり描いていました。
あの頃の追体験という訳ではありませんが、今また木炭の面白さに浸っています。

さてこのアトリエオーブを開講してから、体験授業にお越しの方やアトリエに
かかってくる何処かの営業電話で、たまに惜しい名前で呼ばれることがあります。

「アトリエオーブル」
「アトリエオーバル」
「アトリエオリーブ」...など、

最後の「アトリエオリーブ」は「灯台下暗し」といいますか、一字違いなのに
自分でも予期していなかったので、はじめて伺ったときは「なるほどね」と思わず
感心してしまいました。「アトリエオーブル」は女性の方に多いような気がします。
何かの化粧品で「オーブル」というのがあったのかもしれませんね。

そんななか、先日かかってきた営業の電話でまた惜しい名前をいただきました。

「アリトエ オーブ」

アリトエって...。
何か間違える方が難しそうな気もしますが、ナイスインパクトです。

さすがにどう受け止めても「なるほどね」とはなりませんでしたが、このミョーに
心に残る言い回しが気になって、ここに至った経緯をあれこれ考えてしまいました。
勝手な想像ですが、もしかしたら「アリと絵」とか「アトリエ」の「エ」を「絵」と
連想したのかもしれません。

ちなみにこちらの本家(?)アトリエオーブの「オーブ」は仏語で「夜明け」とか
「暁」という意味になります。さらに定冠詞がつくので本当は「l'AUBE/ローブ」
と発音する筈なのですが、日本語でカタカナですし、なるべくそのままの印象を
残したかったので「オーブ」としました。

でも名前への思い入れなどはあくまでこちら側のお話で、どんな名前で覚えて
いたとしても、まず絵やデッサンを描きたいと思って、このアトリエにご興味を
持っていただけたことが何より嬉しいです。

これからも「アリトエオーブ」を宜しくお願いします...あれっ?

ってベタベタですね、すみません...。

これからもどうぞ宜しくお願いいたします。




夏の暑さと秋の涼しさが交互に顔を出しているようです。
今日はまた微妙な天気です。

アトリエオーブも徐々に実生活との兼ね合いというかペースが掴めてきまして、
そろそろ自分の創作活動にも手を伸ばしていこうか、などと考えています。

さて呑気な話題ですが、先日アトリエにあるゴムの木の植え替えを行ないました。

この木はアトリエをオープンした際に身内から「緑が無いと寂しい」と記念に
もらったもので、開講当初からアトリエを知る、いわば古参メンバーです。

ここに来た時は僕の腰より丈が低かったゴムの木、枝も多くてなかなかシャレた
フォルムをしていました。一部ですが、そのときの画像はこんな感じです。



「ゴムの木は、放っておけば勝手に育つから」

慣れない栽培を不安がる僕に、身内は偏ったアドバイスをくれました。
こちらもこちらでその言葉を鵜呑みにし、ホントに放ったらかしにしていたら
速攻で枝の元気が無くなってきました。

「勝手に育つ?!いかん、ガセネタだ!」

ダラリと下がった葉を目の当たりにして、かなりうろたえた僕は水を涸らしては
いけないと思い、気がつく度に水やりをするようになりました。

「過ぎたるはなお及ばざるが如し」

まさにこの言葉通り、観葉植物に詳しい方ならお分かりだと思いますが、
プラスとマイナスの両極を行った訳です。その後もゴムの木は無神経な主人を
見限るかのごとく枯れていくので、慌てて観葉植物の育て方を調べ、ようやく
まともに手を掛けられるようになりました。

やっと学習した主人に安堵したのか、ゴムの木も少しずつ気持ちを
持ち直してくれました。

アトリエの授業風景を写した画像に当時の貴重な姿(?)が捉えられていました。
持ち直しつつあるゴムの木、こんな感じです。



今年に入ると鉢の方が小さく見えるほど大きくなってきたので、
シーズンの春を待って、いざ植え替え決行です。

植え替え風景、作業に夢中で撮り忘れました...すみません。

じつは今回が二度目の植え替えでしたので、作業は小一時間で終りました。
三たび根を張ってくれることを祈りつつ、今に至ります。



昨日、新たな芽が伸びてビミョーに僕の身長(173cm)を追い越しました。
これだけ親身になって観葉植物を育てるのは初めてなので、何か愛着が湧きます。

もしアトリエにお越しの際は、文字通りアトリエオーブの古株である
ゴムの木の成長もぜひ併せてご覧下さい。



今年は年の初めから何だか忙しい天気でしたが、ようやく春の陽気が
訪れたようです。

世の中は待ちに待ったGWが始まりました。と言いつつ、例によって僕には
あまり縁のないお話なのですが...。恐らくイベント目白押しであろうこの時期、
このブログにお立ち寄りいただき、どうもありがとうございます。

さて、私事で恐縮ですが先日祖母が満100歳(!)を迎えました。

100年、百年、一〇〇年、壱佰年、どの書き方でもインパクトあります。
ちなみに1915年生まれの著名人を少し調べてみると、

まず芸能関係では、

五代目柳家小さん、
水の江滝子、

映画界では、

イングリット・バーグマン、
オーソン・ウェルズ、
テレンス・ヤング、
市川崑、

音楽の世界では、

レス・ポール、
エディット・ピアフ、
ビリー・ホリディ、
フランク・シナトラ、

ちなみにデザイナーの亀倉雄策と柳宗理も同じ誕生年だそうです(すべて敬称略)。

まさかピアフとビリーホリディとウチのおばあちゃんが...。
「えっ、この人と同い年?!」というのが多過ぎてスゴいです。

誕生会当日、アトリエの授業が終わったあと駆けつけてみると、
祖母はすでにビール片手に、寿司と焼きそばを食べ終わっていました。

そう、間違いなくこれが長寿の秘訣と一族でも評判ですが、祖母は100年経た今も
頑丈すぎる胃腸の持ち主なのです。それでもさすがに最近は食も細くなりましたが、
ほんの数年前までは...、

「おばあちゃんねぇ、朝から食欲がないから今日はウナギかピザで良いよ」

またある日の昼食会でも、

「おばあちゃんねぇ、お昼は揚げ物だったら何でも良いよ」

と、常に食べ盛りの男子中学生みたいなリクエストをしていました。

この日の誕生会でもビールを飲みつつ、寿司と中華料理に「デザートは別腹」で
ケーキに白玉ぜんざいと、100年選手の貫禄十分、旺盛な食欲を我々に見せつけて
くれました。「恐るべき子供たち」ならぬ「恐るべきお年寄り」です。


僕がまだ二十代の頃、祖母に肖像画を贈りたくて家に通っていた時期があります。
当時は祖母の記憶もハッキリしていたので、訪ねる毎に昔話を聞き出していました。

ご先祖様が江戸幕府の鎖国の時代に海外と貿易をしていたという話、
祖父のお父さんがものすごく豪快さんで吉原を借り切ったことがあるという話、
ご先祖様の墓石がとても貴重な石らしく鉱物学者がサンプルを取りに来た話、
山本五十六とものすごーーく遠い親戚だという話、
学生時代に画学生のモデルをして淡い恋をした話、などなど、

真偽のほどは分かりませんし、今では祖母はもちろん僕自身も記憶が曖昧になって、
すでに話も大筋でしか思い出せません。あの頃、祖母との会話をテープに録音して
残そうと考えていて、果たせなかったことが悔やまれます。

第二次大戦中は祖父が新聞社に勤務していた関係で家族で北京に赴任していました。
終戦後、祖父とは別行動で先に二人の娘を抱きかかえてプロペラ機に乗り込み、
何十時間もかけて日本に帰ってきたそうです。また、祖母の生まれた1915年は
第一次世界大戦の真っ最中でした。誕生会のとき、自分の昔話も大半忘れてしまった
祖母が一言こう言いました。

「もう戦争は懲り懲り」

戦争を知らない世代が占める今の世で、2つの大戦を経験している人の言葉は
重みがあります。

それはさておき、誕生会の方は無事成功裡に終わりました。
また来年の101歳の誕生会が楽しみです。



<< 前のページ 次のページ >>
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
今尾則之
年齢:
53
性別:
男性
誕生日:
1971/02/13
職業:
画家
趣味:
古本屋巡り
自己紹介:

東京都生まれ。

1993年 日本大学芸術学部美術学科絵画コース卒業。
2000年 フランス留学 (パリ)

2001年 アカデミー・ド・ラ・グランショミエール在籍

2004年 フランス学士院芸術
アカデミー主催 Paul-louis WEILLERコンクール'04 入選

2006年 帰国
2006年〜08年 デッサン教室講師 (池袋)

2009年 日本芸術センター主催 第3回絵画公募展入選

2010年 個展“La Résonance”
開催 (Gallery 5610/南青山)

2012年 個展“Le Reotur”
開催 (Gallery 5610/南青山)

2009年〜13年 絵画教室講師 (吉祥寺)

2013年 絵画教室 アトリエオーブ開講 (代々木上原)
コメント
[02/09 NONAME]
ブログ内検索
バーコード
カウンター
忍者ブログ [PR]